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小室哲哉と華原朋美の過去に何があったの? [音楽]

こんばんわ。

小室哲哉さんと華原朋美さんの過去に一体何があったのか。

最近の若い方はもう15年以上も前のことを何らご存知ない方が

多いでしょうね。


■小室哲哉さんとは?

当時の小室哲哉さんと言えば、ちょっとイメージは違うのですが、

あえて言えば、現在の秋元康さんと同じように、プロデュースする

アーティストやグループが次から次へと大ヒットさせたんですね。


小室哲哉さんの場合はあくまでも自分自身もミュージシャンで、

自分自身のグループとしてGlobeのメンバーを率いていますが。



1994年から1999年に掛けて小室サウンド、小室ファミリーという

言葉が出るほどの小室ブームが社会現象にまでなったんですよ。



この時期、女性ボーカリスト向けに多くの曲をプロデュースしました。

篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」とか、

trfの「EZ DO DANCE」

華原朋美の「I BELIEVE」「I’m Proud」

安室奈美恵の「Body Feels EXIT」


などなどこれはほんの一例にすぎませんが、当時のヒット曲の

ほとんどは小室哲哉さんのプロデュース曲でしたね。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。


さらには歌って踊るという今のEXILEのようなダンススタイルの

先駆者だったんです。

当時のヒット曲がベストアルバムに収録されています。





■華原朋美さんのデビュー

右も左も判らない、歌手として全く無名の新人だった華原朋美さんですが、

小室哲哉さんが曲を提供し、プロデュースしただけで大ヒットしてしまい

一夜にしてスターになったわけけです。


華原朋美さんにとってはまさにシンデレラストーリーなわけですね。


当時の華原朋美さんから見ると小室哲哉さんは雲の上の人で、憧れであり、

尊敬に値する人だったわけです。


当時はどんな女性でも小室哲哉さんにプロデュースされればスター間違いなし

という状況でした。



■華原朋美さんの転落人生

その後1998年10月の「DailyNews」という曲を最後に小室哲哉さんと

の破局が訪れました。



恩師である小室哲哉さんに捨てられたことから華原朋美さんの転落が始まり、

とてつもなく荒んだ生活が長く続くことになるんですね。



華原朋美さんのその後は1年に1,2曲程度のペースで歌を出していましたが、

2007年ごろから心身ともに健康状態が思わしくなく、仕事のドタキャンが続き、

ついに休業状態に入ります。



一時は精神安定剤の大量服用による薬物中毒症にまでなって、家族によって

閉鎖病棟へ入院させられていたと言われています。



退院後は、父親の住むフィリピンに渡り、ボランティア活動で、孤児院の子供

たちの世話をしてだんだんと元気を取り戻していったんだそうです。



■華原朋美さんの芸能界復帰

人生で一番楽しい時期に多くの辛いことを経験した華原朋美さんですが、

芸能界への復帰の気持ちは強く、2013年にレ・ミゼラブルの劇中歌である、

「夢やぶれて」で芸能界復帰を果たしました。


華原朋美さんは今年3月、本人選曲によるカバーアルバム「MEMORIES2」

を発表し2曲連続トップ10入りをしたことで9年ぶりにツアーも再開されたようです。




見事に返り咲いたと言ってもいいでしょう。

全然関係ないですが、この華原朋美さん腹筋すごいでしょ。

芸能界へ復帰する為にジムでトレーニングを積んで減量したんだそうですよ。

華原朋美さんの努力の跡が見られます。



その華原朋美さんですが、今でも小室哲哉さんへの思いはあるようで、小室哲哉

さんも華原朋美さんに曲を提供してもいいとインタビューで発言をしています。


この世には時が解決してくれるものもある証拠ですね。


以上、「小室哲哉と華原朋美の過去に何があったの?」についての記事でした。


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